学校卒業後、父親の弟子に入り宮大工として、腕を磨き数々のお寺を建ててきました。
神社は手がける事なく、お寺のみを歩んできました。
若き日から欅に魅了され一筋に欅を愛し続けている会長です。
東日本大震災に仙台空港の北側にあった工場は跡形もなく流され、育ててきた欅も全部流されてしまいました。
そのショックの為、何も手がつかず、毎日ため息の日々でした。
そんな中、新潟出身の方から新潟の山奥に欅も、機械もあるから行って
みないかと声を掛けられ社長業を譲り、会長として今、単身で新潟の大白川にて木工品を気のむくまま作っております。

歳は30の頃、現会長と出会い、建築業の道に転換しました。「土をわからずにして盤石な家はたたない」と現会長に言われ、土木工事を自分で施工し、入社して8年後に建物に移り今に至ります。
畑違いの私は右も左もわからず、一から教わりつらい日も投げ出したくなる日もありましたが、欅の出すぎない貫禄、何があっても動じない所に人生としても教わり「この欅は無くしてはならん」と思い、会長の深い真髄を受け継ぐ思いで、頑張らせて頂いてます。建築業は男性が多い世界ですが今では半世紀も過ぎた歳のおばちゃんパワーで若い世代から熟年世代まで幅広く、女の目線で精一杯お客様の財産作りにお手伝いをさせて頂いております。

豊山について

昔懐かしい欅の大黒柱と昔ながらの真壁がある家

わが社の「豊山」という屋号はお寺から頂いたものです。工務店とは思えない社名ですが、お客様の人生が豊な山となるようにと言う意味での豊山です。
現会長は昔から宮大工で欅を愛し続けてます。欅という木は堅くて頑丈で山で伐採して最低10年~15年は寝かせてやっと柱等で使えるようになります。
まるで子育てするように手をかけるのです。それを大黒柱とし一家の象徴でもあり、その主人の偉大さを感じられる柱です。
時代は近代化となりせわしい中で我が家に帰ってきた時、この欅の魅力に「ほっと一息できる自分の家」を提供出来る事に命を燃やし尽くしたいと思います。